厳浄院

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  5. 厳浄院

厳浄院は臨川山専称寺と号し、指ヶ谷町二十番地にある。 浄土宗で伝通院末寺である。 旧記には境中に子安地蔵尊があると記して居り、子安地蔵尊縁起には、

我臨川山厳浄院専称寺者、江城西北在小石川指ヶ谷市中。 当山所安置子安地蔵菩薩。 恵心直作之尊像也。 往年経一位尼公桂昌院台覧。 爾来薩垂徳輝彌顯矣。 侯伯士林農夫商客徒信伏拜尊像。 令諸願悉皆満足。 不耐筆記焉。 就中宝永三歳次丙、戍季夏下澣。 中将水戸源公之簾中八重姫君賜兩使於当院。 告曰甞聞此地蔵尊霊験。 請憑予而所薩垂不倚。 或男子或女予。 冀有得姙身嘉瑞。 云々。

右の子安地蔵尊と云ふもの今尚寺に見えずと云ふ。 墓地内北側に地蔵尊があって特に出世地蔵尊と標してある。 之と離れて、門内鐘楼の下に、石の大水盤あり、前面に地蔵尊と刻し、両側に宝永四丁亥、八月四日、臨川山と刻してあるのがあるが、此の水盤が子安地蔵尊の宝前に安置したものであるか、今寺僧に就いて正したが分らずと云ふ事であった。 門を入って正面の処に、畜門転生之碑と云ふのが立って居る。 碑記に依れば、近江守佐々木一陽撰文、播磨守戸川安清題額小栗忠高書としてあり、其の文旨は嘉永二年己酉春三月十八日将軍家小金野の狩猟の折、一陽忠高等之に陪従し、獲る所の猪兎を賜はられ、其の肉は部下と共に分って喰ったが、憫然の情に堪へないから其の頭肉を埋むるものであると云ふ趣を記してある。