取締役 池田貞逸氏

  1. 白山繁昌記
  2. 白山三業株式会社現況
  3. 白山三業株式会社重役略伝
  4. 取締役 池田貞逸氏

現白山三業株式会社取締役、 演芸部長営業部員対外係池田貞逸氏は明治十六年六月三日池田東策氏の三男として神奈川県横浜市伊勢崎町、 神奈川県官舎に生れた。 父君は県庁外事課に勤め、 支那語、 漢文に通じ、 同君の家は旧幕時代に於て由緒ある家柄であつた。 横浜に在つて輸出業を経営し、 主として英米仏脾国と取引し、 日本書の外、 水彩書、 漆絵等の美術工芸品を輸出し手広く営業して居つたが、 時恰かも欧州大戦に遭遇し、 商販路の杜絶と共に業務を中止した。 其の後、 方向を転じて日本紙器会社に勤めて居つた。 尚三業会社との関係は大正六年九月初めて指ヶ谷町百三十七番地に芸妓屋福よしを開業したのであるが其の後百四十六番地に移し、 昭和二年現在の営業所百三十三番地に移つたのである。 大正八年十二月白山芸妓屋副組合長となり、 昭和九年十二月組合解散迄其の職にあつた。 同組合に対して功績少なからぬ処から屡々金杯又は銀杯を贈られたが、 芸妓税の二等地減税請願の為めに、 秋本社長と共に奔走して終に其の目的を達したなどは同君の努力も与つてゐるであらう。 池田君は徴兵現役中、 旭川騎兵第七連隊に編入せられ、 日露戦役に出征、 奉天戦役に参加し名誉ある勲八等瑞宝章並一時賜金七十円を下賜せられ、 大正七年十月、 西伯利出兵に際しては関東兵站監部附となつて出征、 翌八年四月凱旋其の功にて勲七等青色桐葉章並に一時賜金二百五十円を下賜せられた。 趣味は書画、 性湿潤、 酒を嗜まず、 業界に珍らしい人である。 同氏宅には高島秋帆先生時代に開鑿せる井戸残存して居ることは別項の通りである。