監査役 平沢春吉氏

  1. 白山繁昌記
  2. 白山三業株式会社現況
  3. 白山三業株式会社重役略伝
  4. 監査役 平沢春吉氏

現白山三業株式会社監査役平沢春吉氏は小石川柳町二十二番地割烹柳川亭の主人である。 当白山三業組合創立以来重役として今日迄続いて居る人で、 重役の古参者である。 此の柳川亭は明治四十三年十二年京橋区築地木挽町田川が鳥料理として開業したのに初る。 当時平沢氏は同店員として働いて居ったのであるが、 翌明治四十四年五月平沢氏が引継ぎ料理店として営業許可をうけたのが其の五月三日、 爾来二十有余年孜々営々として働き、 其の間屡々家屋の改迭を行って今日の如く山の手一流の料理店とし押しも押されぬ様になったのであるが、 平沢氏は語つて云ふ『自分は小石川で兎に角斯ふやって商売を継続して居られると云ふことに就いては三人の恩人のあつたことを常に肝に銘して忘れぬ。 夫れは初め此の店を譲ってくれた田川の主人、 夫れから種々御世話をうけた水野升氏、 夫れに三業の創立者たる秋本鉄五郎氏から営業上に就いて厚い世話をうけたことである」と。 是れは平沢氏が恩義を忘れぬ実意の人格者であることを語るものである。 誠に氏は温良篤実でしかも隻手勤勉努力を以て産をなした人で、 風姿も清楚、 趣向は長唄、 義太夫、 優に素人の域を脱して居る。 生れは長野県飯田町の人、 明治三十年上京、 当三業組合から会社組織を常に秋本前社長の相談相手となつて尽力し、 取締役に歴任し、 昭和五年十一月の制度改正の時、 監査役となり又別に白山料理待合組合の組合長副組長とを交代して勤めて居たのである。 中央組合にも関係し同業者間に於て重望ある人である。