現白山三業株式会社取締役、 鈴木喜太郎氏は、 明治十七年九月九日を以て日本橋区橋町三丁目六番地に生れた。 同氏の家は厳父の代から袴の裁縫販売を手広く営んで居た。 西園寺公爵家等、 諸貴紳の諸邸を得意とした有数の袴商であつた。 氏は日本橋区の竹内小学校、 常盤小学校卒業後二十四歳にして家督を継ぎ、 爾来孜々として家業をつとめて居たが、 病気の為めと時世の趨勢につれて同業が不振に陥つて居たので、 断然家業を廃めることに決したのが三十七の大正九年三月であった。 大正九年五月十五日、 白山に移って来て、 指ヶ谷町百十六番地に待合小槌を開業、 大正十二年十一月八日同番地にあつた二見氏経営の待合「翁」を引継ぎ営業することになったので是に引移り、 以前の待合小槌を其の実弟徳五郎氏に譲つたのであつた。 同十月六日白山料理待合二業組合の理事となり、 昭和五年二月から分離して白山料理組合理事を就任、 昭和五年暮同組合解散迄同職にあった。 白山三業株式会社重役には大正十一年六月取締役となつて以来改選毎に重任し現今も取締役である。 趣味としては同氏が会社の演芸部委員の適任者として好く認められて居る通り、 演芸方面に豊富な造詣と趣味があり、 特に清元小唄に至つては研鑽多年の工夫を積み、 専門家と伍して遜色ない程の声調を持って居ることは羨む可き程である。